幼稚園児にして、カラオケ=スナックだと思い込んでいた程にスナックに入り浸っていた話

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こんにちは!ぽきです。

ツイッターで話題にした自伝をいくつか書き残してみようと思います。

今回は、第1弾。

『幼稚園児にして、カラオケ=スナックだと思い込んでいた程にスナックに入り浸っていた話』

時は、“平成”一桁

令和の時代は天皇陛下の崩御ではなく生前退位ということで、明るい新時代の幕開けとなりました。

昭和天皇の崩御に伴い、新天皇が即位した平成元年。

時はバブル景気絶頂期から急転直下のバブル崩壊、暗黒の時代へとひたすすむころ。

私は東北の田舎町で産声を上げたのでした。

共働きの両親と同居する祖父母。いたってよくある家庭のよくある子どもとしてこの世に生を受けた訳です。

人生には3つの坂がある、などというのは結婚式ではありきたりな挨拶になっているのは皆さんご存知の通りです。

上り坂、下り坂、そして、まさか

ありふれた家庭に生まれた私にこんなにも“さか”の多い人生が待っているなんて、乳飲み子の私にはもちろん知る由もありませんでした。

すべてのきっかけは 親の独立

これから何度か書いていこうと思う話は、基本的に父親がサラリーマンから一転独立し、起業したことに始まります。

父は、小さな工場を作りました。

その後会社は軌道に乗り始め、実家から離れた町に作ったその会社に、休みの日にはついていくようになりました。

夜になれば、そりゃー飲む飲む。

地方都市の歓楽街といえば、鉄板のスナック。

寂れた町にもわずかな活気がある時代でした。

(最近その街を訪れたのですが、すっかり人がいなくなっていました笑)

当時は子どもでもパチンコ屋さんに立ち入れたくらいユルい時代ということもあり、父親に連れられスナック通いをするようになりました。

今思えば、かなり良い暮らしをしていたなぁ、なんて思います笑

クレヨンしんちゃんを歌い、セーラームーンを歌い、おねぇさんに褒められる悦びを知る

とはいえ、そんなに子どもを連れて飲み歩く親など多くはなく、私はたいそうお店のおねえさんたちに可愛がられる訳です。

一丁前にカウンターに腰掛け、父親の横で頼むのは『トマトジュース』

何か歌え、と言われマイクを握れば歌うのはクレヨンしんちゃんやセーラームーンといったアニメの主題歌たち。

歌えばママさん以下おねぇさんたちは自分のことを褒めてくれる。

幼稚園児にしてその環境に優越感を覚えたのでしょう(笑)

家族でカラオケボックスに行ったときの爆弾発言

これは父から聞いた話ですが、家族でカラオケボックスに行った時の話

(自分より年下の平成生まれには分からないかもしれないが、当時は田舎だったこともあり通信カラオケとレーザーディスクが混在していたし、デンモクなんてものはなく歌本でコードを入力していた)

カラオケに入るや否や、駄々をこね始めたそうです。

なんでも、『ここはカラオケじゃない!!!』と。

父がその理由を訊くと。

『だっておねぇさんいないんだもん!!!』

きっと当時20代そこそこのおねぇさんたちだったんだろうな、と思いますが、(果たして今どこで何をしているのだろうか)酒と女のあふれる英才教育を受けた空間で育った私は、20年後にその快楽に溺れることになるのでした。

続く

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